・なぜ障害者福祉の歴史が近年の国家試験で頻出になっているのか考える
・国際的な動向を踏まえ、日本がどのような障害者施策を行ってきたか、整理する
問題58 障害者福祉制度の発展過程に関する次の記述のうち、最も適切なものを1つ選びなさい。
1 1949年(昭和24年)の身体障害者福祉法は、障害者福祉の対象を傷痍軍人に限定した。
2 1950年(昭和25年)の精神衛生法は、精神障害者の私宅監置を廃止した。
3 1960年(昭和35年)の身体障害者雇用促進法は、児童福祉施設に入所している18歳以上の肢体不自由者が増加する問題に対応するために制定された。
4 1980年代に日本で広がった自立生活運動は、デンマークにおける知的障害者の親の会を中心とした運動が起源である。
5 2010年(平成22年)に発足した障がい者制度改革推進会議における検討の結果、障害者自立支援法が制定された。社会福祉士国家試験 第33回(2021年)より解説
正解 2
「発展過程」っていう言い方で歴史を問う、そういう形式の問題はこの科目でよくあります。例えば、第28回問題58とか。そうなのですが、この形式がなんと4年連続出題。第30回問題57、第31回 問題57、第32回問題57、そして今回。ここまでくると、「障害者に対する支援と障害者自立支援制度」では、「発展過程」問題は毎年出題の傾向となったと言ってもいいかもしれません。
選択肢1 ×
身体障害者福祉法の歴史っていっても、こんな個別具体的な法律の歴史について、細かいマニアックなことが聞かれるわけはありません。では、こういう個別具体的な法律の歴史が出てきた場合、何が聞かれるのですか?もちろん、今につながる日本の障害者福祉の歴史という観点からみて大事なところ、に決まってます。なぜって、この問題のタイトルは、障害者福祉制度の発展過程だからです。
皆さんの多くが選択肢ばかり見ますが、それら選択肢のどれに〇をつけてほしいか、それを指し示してくれるのは問題のタイトルです。そこを意識しないで、ただただ5つの選択肢だけを見ると、国家試験の難易度は上がる一方です。
さて、障害者福祉の発展過程としての歴史を意識したとき、身体障害者福祉法という法律ってどのような意義づけができますか?
戦前は、公的な障害者福祉なんて概念自体ありませんでした。戦前にあった公的なものとしての「社会事業」は貧困対策に特化していたからです。ただし、例外として傷痍軍人対策の制度は戦前からありました。それは国家による「公的な」身体障害者制度だと言えます。つまり、見方によっては、「軍人限定で使える公的な身体障害者制度」は戦前からあった、ということです。それは軍人以外の市民から見れば「軍人だけ特別扱い=差別」に当たります。
そういう見方をすると、戦後に一般人に開かれた身体障害者福祉法ができた、ってことの意義が見えてきませんか?
→障害者福祉に特化した初めての法律
選択肢2 ×に近い△
精神衛生法から精神保健法、そして精神保健福祉法へと流れていく歴史はとても大事です。温めて確認しておきましょう。
戦前:「私宅監置」という規範
↓
戦後
1950年:精神衛生法=公的監置(=精神病院での隔離)を標準化
※すべての都道府県に精神病院設置
↓
とはいえ退院を想定しない非人道的あり方
※象徴としての「宇都宮病院事件」
↓影響
1987年:精神保健法=人権尊重、社会復帰を想定
↓
(1993年:障害者基本法=「精神」を障害者に位置づけ)
↓具現化
1995年 精神保健福祉法=地域移行等のため障害者福祉制度を利用できるようにした
これぐらいは知っておきたいですね。
ただ、選択肢の「私宅監置が廃止された」の「廃止」や「禁止」って表現を見て、「戦後には私宅監置が即ゼロになったってこと?」と考える人がいるかもしれませんね。
しかし、「法制度上廃止されたこと」と、「そのような状態がゼロになる」ということはイコール関係ではありません。法のうえで、義務だの禁止だとの規定されていることと、それが現象として社会で見られるかどうかは別なのです。それに、「私、座敷牢です」なんていう人も、そして「うちの子を私宅監置実してます」なんて公にいう親も、いるわけないじゃないですか。考えてみりゃ当たり前。
ですから、私宅監置は制度としては戦後の精神衛生法下で廃止されましたが、現象としては座敷牢などと蔑称されながら1980年代ぐらいまではけっこう見られました。
選択肢3 ×
身体障害者雇用促進法は、おそらく社会福祉士であれば「就労支援サービス」という科目でちょっとやるかもしれませんが、まぁ、昔の法律、制度ですから、詳しくは知らないでしょう。
ただし、知らなくても「児童福祉施設に入所している18歳以上の肢体不自由者が増加する問題に対応」の「肢体不自由者」を「知的障害者」に変えると、1960年の精神薄弱者福祉法が成立する背景の説明です。これは知っておかなければなりません。
精神薄弱児福祉施設に入所している18歳以上の精神薄弱者が児童施設内で増加する問題に対応するため
<背景>
1947年 児童福祉法:精神薄弱「児」の入所施設の根拠
↓とはいえ、精神薄弱「者」(成人)の入所施設の根拠法なし
結果10数年たち、精神薄弱児施設の児童が成人になっても、例外扱いでそのまま児童施設に居続ける
※例外なのに成人のほうが多い児童施設も出てきて、んー、まずい。
↓
1960年 精神薄弱者福祉法
ちなみに。精神薄弱者福祉法と知的障害者福祉法は同じ法律ですよ。
↓
1998年 「精神薄弱」を「知的障害」に名称変更:精神薄弱者福祉法→知的障害者福祉法
選択肢4 ×
1960年代(=社会運動の時代)に由来する二つの動き(ノーマライゼーション、自立生活運動)は、今日の障害者権利条約へとつながる始原(=スタート地点)として教科書上では描かれています。
スタート地点だから、この2つは大事なんだ、と考えます。
自立生活運動:米国の身体障害者の独り暮らし運動
ノーマライゼーション:北欧の知的障害者の親の会を中心とした運動
選択肢5 ×
2005年成立、2006年施行の障害者自立支援法を作ったのは自民党政権です。ただし、この障害者自立支援法には障害者団体からの反対運動があったことは、どの教科書にも載っていると思います。
もう少し丁寧に言うと、一律にどの障害者団体も反対したわけではなく、自民党政権と対峙するような障害者団体は反対した、という側面もあります。というのも、障害者運動というのは、他の社会福祉の運動と異なり、障害当事者は一生涯にわたり障害とともに生きてきますから、何十年スパン、いや一生に渡った運動なのです。その過程の中で、当然ながら政治や、それに伴う団体と近づいたり離れたり、というのは各団体ふくめ、いろんなところであるものなのです。
こんな流れぐらいは、今の「障害者総合支援法」につながる話ですから、知っておきたいところですね。ちょっと整理しておきますか。
1990年代後半 社会福祉基礎構造改革:スローガン「措置から契約へ」
↓(これを受け、介護保険は2000年施行)
2003年 支援費制度:「身体」「知的」の契約制度、「精神」は乗っからず
↓ 財源問題等が生じて
2006年 障害者自立支援法施行(以上、自民党政権下)
↓ 定率一割負担などの問題から、障害者運動団体による違憲訴訟
2009年 民主党政権「障がい者制度改革推進会議」
↓ 障害者施策の抜本改革めざすも・・・
2011年3月 東日本大震災→民主党政権の支持率急低下
↓
2011年8月 障がい者制度改革推進会議による「骨格提言」→ほぼ無視される
↓
2012年 障害者総合支援法(=障害者自立支援法の名称変更)
同年 自民党政権へ
ただし。
もし「障がい者制度改革推進会議」なんて忘れていたとしても、この選択肢は×にすることも可能です。
なぜなら、障害者自立支援法は1990年代後半の社会福祉基礎構造改革の影響受けて、障害者分野の契約制度を具体化する法律として成立したんですよね。だとすると、2010年以後に障害者自立支援法の成立なんて、ちょっと遅すぎるんですよ。
最後に。
気になる人は気になるであろうところを補足して、この問題の解説を終えましょうか。
正解 2