・なぜイギリスの社会福祉の歴史が狙われやすいのかを知る
・博愛主義的な発想が再び救貧法的な発想へと転換する契機としての産業革命について整理する
問題25 イギリスの新救貧法(1834年)に関する次の記述のうち、最も適切なものを1つ選びなさい。
1 劣等処遇の原則を導入し、救貧の水準を自活している最下層の労働者の生活水準よりも低いものとした。
2 パンの価格に基づき定められる最低生計費よりも収入が低い貧困者を対象に、救貧税を財源としてその差額を給付した。
3 貧困調査を実施して、貧困は社会的な要因で発生することを明らかにした。
4 働ける者を労役場で救済することを禁止し、在宅で救済する方策を採用した。
5 貧困の原因として欠乏・疾病・無知・不潔・無為の5大巨悪を指摘した。社会福祉国家試験 第33回(2021年)より解説
これは「低所得者に対する支援と生活保護制度」で出題されてもおかしくない問題です。
1990年代以後の有り様は、また別の機会に書くとして。
それでは、選択肢ですが。
実は、この5つの選択肢で、イギリスにおける、国家的な貧困対策の1600年ごろからの歴史をつづっています。できるなら、この5つが、それぞれ何という貧困対策で、いつごろになされたか、ぐらいは整理しておきたいところです。
ということで、年代が古い順に整理してみましょう。
〇16世紀以後[=近代以後]※資本主義で生じる貧困への対策が必要になった
1601年 エリザベス救貧法
貧民対策=労働能力の有無によって分ける
有能貧民は労働の義務負わされ、違反すると、犯罪者として刑罰の対象
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これが18世紀の中ごろ(1700年代半ば)になると、イギリスでは資本主義が進み、中産階級なる、まぁ、わかりやすく言えば裕福なお金持ちが出てきます。
すると、中産階級の人たちは余裕があるので、博愛意識が広がります。すると、旧救貧法的な見方(=労働力があるのに労働をしない人に罰を与える)に対して批判が高まりだします。その象徴として、18世紀ごろから始まる市民革命、そこでなされる啓蒙思想、その極めつけとしての1789年のフランス革命。これらの思想的な動きに伴う大きな社会変動を経由し、人権、政治参加、経済的自由を求める「市民」という概念が醸成されだします。
こんな時代精神を経て登場したのが、
選択肢4 1782年 ギルバート法
「働ける者を労役場で救済することを禁止し、在宅で救済する方策を採用した。」
選択肢2 1795年 スピーナムランド制度
「パンの価格に基づき定められる最低生計費よりも収入が低い貧困者を対象に、救貧税を財源としてその差額を給付した。」
まぁ、イメージとしては、今の生活保護制度に近いですかね。パンの価格と家族の人数に応じて算定された最低生活費水準に基づき、生活費を支給するんです。
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ところが、1800年前後から、急激に工場労働中心(=第二次産業)中心の社会へとイギリスは移行します。
これを「産業革命」と称します。
産業革命によって、お金持ちの工場オーナーは、博愛主義から一転して、一人でも多く工場労働者がほしくなるわけです。
そんななかで、ギルバート法やスピーナムランド制度のような、労働力があるのに家の中で、保護を受けるという在り方への批判が、先の中産階級の中(=工場のオーナーが多い)からさえ出てくるようになります。
そんなもん廃止して、一人でも多く工場労働者をよこせ、ってな感じですかね。
そんな中で、博愛といった思想ではなく、人口という社会科学的な指標から、保護政策を批判するマルサスの『人口論』なんかを理論の支柱として、再び、救貧法(とにかく労働能力のある人だったら、鞭打ってでも働かせるべし!)的なやり方が求められだすわけです。
選択肢1 1834年 新救貧法
「劣等処遇の原則を導入し、救貧の水準を自活している最下層の労働者の生活水準よりも低いものとした。」
このように、産業革命後の英国は、都市化に伴う社会問題に直面(※特に貧困の問題)し、新救貧法に、打って出たわけです。
ただ、旧救貧法も新救貧法も、労働力がある人には鞭打ってでも働かせる、そんなノリだったわけです。
つまり、貧困の原因について怠惰や堕落といった個人的な要因に問題がある、という前提がここにあります。
それに対して、19世紀後半[=1850年代~1890年代]になると、そのあまりに素朴で感覚的な原因設定に対して、社会調査を踏まえ、別の原因を提言する者が現れます。
選択肢3 1880年代 ブース
「貧困調査を実施して、貧困は社会的な要因で発生することを明らかにした。」
その結果、貧困対策は社会福祉として国家自らが自らが先導してやらなければやっていけない時代に突入するのです
選択肢5 1940年代 ベヴァリッジ報告
「貧困の原因として欠乏・疾病・無知・不潔・無為の5大巨悪を指摘した。」
ということで、このベヴァリッジ報告を受け、イギリスは第二次世界大戦後に福祉国家としての道を歩んでいく、ということになります。
正解 1