ソーシャルワークから見た「イギリスの新救貧法」

04現代社会と福祉
今回のポイント
・なぜイギリスの社会福祉の歴史が狙われやすいのかを知る
博愛主義的な発想が再び救貧法的な発想へと転換する契機としての産業革命について整理する

問題25 イギリスの新救貧法(1834年)に関する次の記述のうち、最も適切なものを1つ選びなさい。
1 劣等処遇の原則を導入し、救貧の水準を自活している最下層の労働者の生活水準よりも低いものとした。
2 パンの価格に基づき定められる最低生計費よりも収入が低い貧困者を対象に、救貧税を財源としてその差額を給付した。
3 貧困調査を実施して、貧困は社会的な要因で発生することを明らかにした。
4 働ける者を労役場で救済することを禁止し、在宅で救済する方策を採用した。
5 貧困の原因として欠乏・疾病・無知・不潔・無為の5大巨悪を指摘した。

社会福祉国家試験 第33回(2021年)より解説

これは「低所得者に対する支援と生活保護制度」で出題されてもおかしくない問題です。

コラム なぜ社会福祉ではイギリスを手本に???


ある「物差し」をつくり、それを「基準」としてあらゆる事柄を比較・検討すること。それを「客観的で科学的な態度」と自然科学では言われ、そうして自然科学は自らを正当化してきました。「あらゆる事象は客観的に比較可能である」とする態度、このような態度で世界を眺めることが自然科学的なものの見方・考え方です。
この自然科学的な態度こそが、古代や中世という時代を支えてきた「神」や「王」を押しやって、「近代」という時代の後押しをしました。近代という時代が成立すると同時に、「社会」(=神や王なくして、市民が生きるための土台)が成立します。
すると、社会に生きる人々は「社会」を予測可能なものとして見ることができるような「何か」を欲します。その期待に応える「何か」として誕生したのが、社会科学なのです。
ただし、社会科学も自然科学と同様、「科学」でなければなりません。科学として後発である社会科学は、その科学性を正統化するために、自然科学の真似をします。あらゆる社会的事象を図るため、社会科学は「物差し」を必要としたのです。
社会科学のなかで、比較的早くそのような自然科学的な態度を取り入れることに成功したのが「経済学」です。経済学は、資本主義が最も早く成立した英国の歴史を「物差し」(=基準)として設定しました。つまり、資本主義の典型国を英国としたうえで、あらゆる国を英国の資本主義の発展史と比較することで、自国の資本主義経済における発展度合いを理解する、そのようなやり方を経済学では採用したのです。(例 わが国は英国の17世紀段階まで進んだ、一方、隣の国はまだ英国の16世紀段階だ。ゆえに、わが国のほうが経済は進んでいる!!)
多くの社会科学が経済学を真似て自らの科学性を担保しようとしたように、もちろん「社会福祉学」も、科学的態度を経済学から真似て取り入れました。そこで、社会福祉の典型国として英国を設定し、英国との差異から自国の社会福祉の発展段階を措定する方法を採用したのです。このようにして、自国の社会福祉の歴史や理論の成果をそのようにして測る態度は、社会福祉学においては1980年ごろまでスタンダードなものでした。

1990年代以後の有り様は、また別の機会に書くとして。

それでは、選択肢ですが。

実は、この5つの選択肢で、イギリスにおける、国家的な貧困対策の1600年ごろからの歴史をつづっています。できるなら、この5つが、それぞれ何という貧困対策で、いつごろになされたか、ぐらいは整理しておきたいところです。

ということで、年代が古い順に整理してみましょう。

〇16世紀以後[=近代以後]※資本主義で生じる貧困への対策が必要になった
1601年 エリザベス救貧法
貧民対策=労働能力の有無によって分ける

有能貧民[労働能力有り]/無能貧民[労働能力なし]/児童

有能貧民は労働の義務負わされ、違反すると、犯罪者として刑罰の対象

これが18世紀の中ごろ(1700年代半ば)になると、イギリスでは資本主義が進み、中産階級なる、まぁ、わかりやすく言えば裕福なお金持ちが出てきます。
すると、中産階級の人たちは余裕があるので、博愛意識が広がります。すると、旧救貧法的な見方(=労働力があるのに労働をしない人に罰を与える)に対して批判が高まりだします。その象徴として、18世紀ごろから始まる市民革命、そこでなされる啓蒙思想、その極めつけとしての1789年のフランス革命。これらの思想的な動きに伴う大きな社会変動を経由し、人権、政治参加、経済的自由を求める「市民」という概念が醸成されだします。

こんな時代精神を経て登場したのが、

選択肢4 1782年 ギルバート法

「働ける者を労役場で救済することを禁止し、在宅で救済する方策を採用した。」

ギルバート法:院外救済(居宅のまま仕事をあっせん=居宅保護)

選択肢2 1795年 スピーナムランド制度

「パンの価格に基づき定められる最低生計費よりも収入が低い貧困者を対象に、救貧税を財源としてその差額を給付した。」

スピーナムランド制度:院外救済[居宅保護] + 賃金補助制度

まぁ、イメージとしては、今の生活保護制度に近いですかね。パンの価格と家族の人数に応じて算定された最低生活費水準に基づき、生活費を支給するんです。

ところが、1800年前後から、急激に工場労働中心(=第二次産業)中心の社会へとイギリスは移行します。
これを「産業革命」と称します。
産業革命によって、お金持ちの工場オーナーは、博愛主義から一転して、一人でも多く工場労働者がほしくなるわけです。
そんななかで、ギルバート法やスピーナムランド制度のような、労働力があるのに家の中で、保護を受けるという在り方への批判が、先の中産階級の中(=工場のオーナーが多い)からさえ出てくるようになります。
そんなもん廃止して、一人でも多く工場労働者をよこせ、ってな感じですかね。
そんな中で、博愛といった思想ではなく、人口という社会科学的な指標から、保護政策を批判するマルサスの『人口論』なんかを理論の支柱として、再び、救貧法(とにかく労働能力のある人だったら、鞭打ってでも働かせるべし!)的なやり方が求められだすわけです。

選択肢1 1834年 新救貧法

「劣等処遇の原則を導入し、救貧の水準を自活している最下層の労働者の生活水準よりも低いものとした。」

1800年代
英国で産業革命 ※産業構造が農業中心から工場労働中心へ転換
=資金と場所と労働力の三つの条件が必要
この三つがいち早く整えられたのが英国⇒世界で最も早く産業革命成立産業革命経済活動と人々の生活に決定的な影響 
※近代という時代を一気に推し進めた

◎工場が新たな工員を必要⇒農村から工場へ人口が流入⇒都市化
都市化が新たな次元の問題を引き起こす=新たな社会問題
例 未熟な工業従事者の増加、低賃金労働、急激な都市化による衛生問題
従来の救貧法的な発想では対応しきれず

1834年 新救貧法
・救貧委員会を設置
・ワークハウス[=労役場]等の救貧施設を運営
・救済申請者と面接をして救済の決定
①救済は全国的に統一した方法
②有能な貧民の居宅保護[ギルバート法やスピーナムランド法]を禁止
→ワ一クハウス(=労役場)での救済
=実質的にも外見的にも最下級の労働者の生活条件以下におさえる
=劣等処遇
⇒救貧行政の中央集権化 :国家[ナショナルなもの]がさらに強固なものに

このように、産業革命後の英国は、都市化に伴う社会問題に直面(※特に貧困の問題)し、新救貧法に、打って出たわけです。

ただ、旧救貧法も新救貧法も、労働力がある人には鞭打ってでも働かせる、そんなノリだったわけです。
つまり、貧困の原因について怠惰や堕落といった個人的な要因に問題がある、という前提がここにあります。

それに対して、19世紀後半[=1850年代~1890年代]になると、そのあまりに素朴で感覚的な原因設定に対して、社会調査を踏まえ、別の原因を提言する者が現れます。

選択肢3 1880年代 ブース

「貧困調査を実施して、貧困は社会的な要因で発生することを明らかにした。」

ブース(Booth.C.)(英国人男性)
→1886年からロンドンの労働者や貧困層の生活実態の調査を『ロンドン市民の生活と労働』にまとめる
貧困線という発想:これ以下は貧困と線を引きその割合を調査
結論:貧困の原因=雇用の不安定性、低賃金など、社会や経済的な要因によるもの
<従来>社会の問題 感覚的に[=非科学的]とらえられていた
※近代以前であれば、その感覚性が神に近づく手段として肯定されることも

<近代>これら社会調査
科学的な方法 (数値、統計的な記述、面接、聞き取り、観察、家計簿などのデータ)で社会問題を詳細に描き出し、問題を明確化[=科学化]
※科学的に解釈可能なものに落とし込む
このブースの社会調査と相まって、この時代には、新救貧法的なノリではない貧困対策として、COSやセツルメントも現れます。
そして、時代は20世紀へと入るわけですが、二つの世界大戦を経て、もはや宗教を背景とした民間団体だけで貧困対策をやっても、全く追いつかない、そんな時代に突入します。
その結果、貧困対策は社会福祉として国家自らが自らが先導してやらなければやっていけない時代に突入するのです

選択肢5 1940年代 ベヴァリッジ報告

「貧困の原因として欠乏・疾病・無知・不潔・無為の5大巨悪を指摘した。」

ということで、このベヴァリッジ報告を受け、イギリスは第二次世界大戦後に福祉国家としての道を歩んでいく、ということになります。

正解 1

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