ソーシャルワークから見た「19世紀末から20世紀初頭のセツルメント活動」

13相談援助の基盤と専門職
今回のポイント
人名について、どの人をなぜ覚えるのか、ソーシャルワークの観点から考える
社会科学の視点から、何に〇をつけさせたいのか、問題作成者の意図を探る

問題94 19世紀末から20世紀初頭のセツルメント活動に関する次の記述のうち、正しいものを1つ選びなさい。
1 バーネット(Barnett, S.)が創設したトインビーホールは、イギリスにおけるセツルメント活動の拠点となった。
2 コイト(Coit, S.)が創設したハル・ハウスは、アメリカにおけるセツルメント活動に大きな影響を及ぼした。
3 石井十次が創設した東京神田のキングスレー館は、日本におけるセツルメント活動の萌芽となった。
4 アダムス(Addams, J.)が創設したネイバーフッド・ギルドは、アメリカにおける最初のセツルメントであった。
5 片山潜が創設した岡山孤児院は、日本におけるセツルメント活動に大きな影響を及ぼした。

社会福祉士国家試験 第33回(2021年)より解説

いわゆる人名問題ですね。
これも誤解されやすい問題形態ですかねぇ。誤解とは?出た人物は「全部覚えろ」と国家試験が言ってると勘違いされやすい、ということです。
先の問題同様に、選択肢2と選択肢4、選択肢3と選択肢5が入れ替えになってることには気づけましたか?すると、どちらも1つ確実に知っていさえすれば、両方が×で消せるんです。

じゃあ、具体的に何をどこまで知っておくべきか。
ちょっと1つ1つ確認してみますか。

選択肢2 × 選択肢4 ×

Jアダムス(ハルハウス)とコイト(ネイバーフットギルド)であれば、どう考えてもJアダムスを覚えなければいけません。また、Jアダムス(ハルハウス)さえ覚えておけば、コイトなど知らなくとも、どちらの選択肢も×にできるのですから、私からすると、国家試験は「どっちも覚えるのが難しければ、Jアダムスだけは覚えておいて」と、この問題を通して言っているようにさえ思えます。

もちろん、コイト(ネイバーフットギルド)を覚えていても、この二つの選択肢を×にはできます。じゃあ、なぜコイトではなくて、Jアダムスのほうを覚えるのですか?

重箱の隅をつつくような〇×問題とか、あと一問一答的な問題、あとテレビのクイズ番組のクイズでは、「一番問題」って好きなんですよねぇ。「一番問題」とは?一番高い山、一番長い川、一番早く作った人・・・・・などなどなど、「一番○○なのは?」ってのを聞く問題です。
かつては国家試験や大学入試でも一番問題ってよく出ていた気がしますねぇ。特に20年ぐらい前までの、子どもが多くて、結果として受験人口もすごく多かった時期ぐらいまでは。「一番問題」って作りやすいし、出しやすいし、それでいて覚えてれば正解できるし覚えてなきゃ不正解になるっていう形で、はっきり結果が分かれるから、足切りの入試の問題としては都合がよかったんだと思います。
ただ、ここ10年ぐらいですかねぇ、少なくとも良心的な国家試験や、良心的な大学の受験問題では、一番問題ってほんと出なくなりました。一番問題は確かに問題としては作りやすいんですけど、そもそも「一番〇〇である」ってことそのものは、社会科学的には大して意味がないからです。大して意味がない理由として、まず「一番」の基準は見方によって変わるから、ということが1つ。もう一つは、「一番」○○だから大事という理屈は、社会科学的に必ずしも言えないからです。
例えば、「コイトがアメリカで最初のセツルメントを作った」って言い方をされますが、これ、セツルメントの定義が変われば(=見方が変われば)、別の団体や活動がもっと早かったなんていくらでもありえます。それに、一番早いから大事という理屈は、クイズ的には意味がありますが、社会科学的な意味・意義はありません。一番早くできたことが大事ではなく、それによって社会がどう変わり、何がどう生じたのか、それが今にどうつながっているのか、等々、そのあたり論理展開にこそ社会科学は意味を見出すのです。
また、すでにイギリスで、(後でやりますが)バーネットのトインビーホールなんてのがあって、それに影響を受けて、アメリカで後発で出てきたのに、なぜアメリカで「一番」早いっていうだけで覚えなきゃいけないか、これもまた、先の問題93のグローバル定義よろしく、アメリカ中心の典型的な見方じゃないですか。
コイツのネイバーフットギルドは1886年で、Jアダムスのハルハウスは1889年。時期的にも大して変わらない。一番問題なら、コイツを覚えるほうが大事。でも、少なくとも今の社会福祉士国家試験はそうじゃないんです。

こんな説明をすると、次のような質問が来そうです。
「例えばさ、日本が一番高い山が富士山。二位は北岳。社会科学では一番だから大事って発想をしない。だったら、社会科学を前提にする国家試験では、富士山と北岳どっちも覚えろってこと?」
違います。それは「一番問題」を「一二番問題」にしているだけです。結局暗記の数がただ増えるだけで、社会科学の観点って、結局は雑学を増やすことが大事ってことになってしまいます。(そう勘違いしてる人がほんと多いんですが。)
一番問題のやっかいなところは、これらをかつての入試や国家試験が誘導してただけじゃなく、受験生も、一番を暗記することを「勉強」と呼び、それを覚えることで「勉強した」って気になり、満足しちゃうってところですねぇ。
かつてのソーシャルワークでは、そういう暗記型が求められていた面はあったかもしれません。措置中心の時代は、いかに正しく法律を覚え、それに基づく制度を覚えて、障害者をいかに正しく施設に措置するか、そこが大事で、それができる人が正しい社会福祉職だったのですから。それが、今は、制度ありきじゃない新たなソーシャルワークを模索しているわけでしょ。それも地域を巻き込んで。おっと、ここでセツルメントとつながってきましたね。

話を戻しましょう。
「富士山が大事なのは、一番高い山だから」という理屈でよいのは、小学校ぐらいまで。中学あたりからは、なぜそれが大事か、という観点を学びだすわけでしょう。今でも日本では富士山をやたら祀り上げるのはなぜですか?富士山は周りに山がなくそびえたつ、あの孤高の美しさや、歴史上では噴火が何度もあったため、神の住む山として畏れられ、崇められてきたためです。 なんて形で、社会科学では説明するわけですね。「信仰」という観点(物差し)から見れば、ですが。

そう、社会科学で大事というのは、どういう観点で見るか、そこが大事なんです。
そして、私がすべての問題のタイトルの前に「ソーシャルワークから見た」とわざわざつけているのは、「ソーシャルワークという観点から見て」大事だと思うものに問題作成者は〇をつけさせようとしている、その大前提を忘れてはならないから、です。

さて、そんなことを踏まえて。コイトよりは、Jアダムスはやっぱり覚えなきゃいけないんです。それは、Jアダムスという人自身や、ハルハウスの影響は、今にも引き継がれているからです。
参考書等では「シカゴという当時の世界最大の都市でハルハウスを作ったから」なんて形でそのすごさを解説しておしまいだったりするものもありますが、それじゃだめですよ。その説明では「当時世界で『一番』大きい都市でセツルメントしたから大事」って説明であって、一番問題と変わらないじゃないですか。

【人物】ジェーン・アダムス(1860- 1935)(米国人女性)
1889年 ハル・ハウスをシカゴに設立=米国の代表的セツルメント
※ハル・ハウス:開設1年目から5万人が利用 世界最大のセツルメント
→施設を拠点にシカゴ市やイリノイ州において社会改良運動も展開〇1888年にロンドンでトインビー・ホールを視察
→ここでの学習と体験から1889年にハル・ハウスを設立
〇当時のシカゴのスラム街
移民が多く、貧困の状態から抜け出し、米国社会に定着・定住することが課題
⇒グループワークやレクリエーション療法へと発展
〇1931年 J・アダムスにノーベル平和賞を受賞=米国女性で最初のノーベル賞受賞者<日本とのかかわり>
・1900年代初頭には、ハル・ハウスに多くの日本人が訪問
・1923年にはJ・アダムスが日本を訪問
→日本における社会事業の展開にも大きな影響
→1920年代(戦間期=大正デモクラシー)の日本にセツルメントブーム

J・アダムスを大事とする、ソーシャルワークの観点は、「社会改良主義」という概念のニュアンスを知っておかないとわかりにくいかもしれません。ということで、
【概念】「社会改良主義」
資本主義制度の枠内での、漸進的な改革によって社会を改良しようとする立場。
※漸進的=「ゆっくりと着実に進む」というイメージ
→1820年代に始まる英国の労働運動や、1884年設立のフェビアン協会などが始まりとされる(フェビアン協会によるフェビアン主義は、資本主義全体の変革も目指してはいたようだが、合法的、部分的、漸次的にやっていこうというイメージ。例 工場法の成立)⇔「急進主義」
現体制・秩序を急激に変革しようとする主張・立場。ラディカリズム
例 資本主義の否定。革命による新たな社会の成立。→1917年 ロシア革命
今日のアメリカのソーシャルワークの萌芽として、教科書上は、1890年代ごろから1910年代ごろまで活躍するリッチモンドとJ・アダムス、この二人の女史があげられるのが一般的です。
とはいえ、2000年前後ごろまでの教科書では、J・アダムスよりもリッチモンド中心だった印象があります。理由の一つとして、ロシア革命以後、アメリカでは革命への危機意識から、社会改良主義と急進主義を分けることなく、どちらの流れをも抑圧し、排除しようとする動きが出てきます。その結果として、アメリカでは1920年代からセツルメント運動は一気に凋落するのです。
また、これらの影響は、問題92で確認したように、2000年の「ソーシャルワークの国際定義」が、いわゆるケースワークの見方中心のものであったことともパラレルなことです。
一方、2000年代に入り、この国際定義に対して、発展途上国のソーシャルワーカーからの批判があり、2014年のグローバル定義となったのでした。
そんな背景の中で、J・アダムスのハルハウスや、それらハルハウスの活動をも包み込む、「セツルメント」という世界的な運動が再評価されているのです。私はそう思います。
そんな世界的な運動である「セツルメント」の萌芽はどこにあるのでしょうか?

選択肢1 〇

問題文にあるように、セツルメント運動は19世紀末から20世紀初頭に始まるとされています。そして今日では、1931年にノーベル平和賞受賞者を受賞したJ・アダムスによるハルハウスがその象徴とされ、教科書に記述されてきました。
しかし、そんなJ・アダムスの活動にもその萌芽があります。それが、彼女が1888年にイギリスで視察したトインビーホールであり、その初代館長がトインビーとともにセツルメントを行ったバーネットです。盟友トインビーが若くして亡くなったため、バーネットはセツルメントの拠点となる施設に彼の名を冠したのです。
バーネットとトインビーによるセツルメントは、トインビーが講師を務めていたオクスフォード大学の学生を巻き込んだ運動でした。
ということで、大学を卒業し、その恵まれたキャリアを踏まえて、社会福祉士を目指そうとするそんなあなたは、この選択肢に〇をつけさせた問題作成者の意図を感じますでしょうか?
深読みだと思われるかもしれませんが、グローバル定義の思想を踏まえ、今を大きな時代の転換期としてとらえることができるのであれば、私のこの読みはそれほど間違っていないと思います。
いかがでしょうか。

選択肢3 × 選択肢5 ×

さて、このセツルメント運動の日本への影響はどうでしょうか?
上述したように、日本でセツルメント運動が流行るのは、第一次世界大戦を経て、日本にも好景気がもたらされた1920年代まで待たなければなりません。

じゃあ、日本のセツルメント運動はすべてアメリカから輸入されたものにすぎないのでしょうか。そうではありません。
片山潜は、J・アダムス同様に、19世紀末にトインビーホールを視察し、日本に帰国。J・アダムスには少し遅れますが、187年にキングスレーホールを設立します。

一方、これらの動きとは異なりますが、宣教師としてアリス・ぺティー・アダムスが岡山県に来日。クリスマス会を開いて地域の子供たちを呼び、それが大盛況。活動として定着しだして、岡山博愛会と名乗ります。それがいわゆる日本のセツルメントの始まりではないか、というのが、まぁ、いわゆる日本の関西系の社会福祉学者の物言いですね。そして、この時期に岡山を中心として、セツルメント的な活動をしていた慈善家を「岡山四聖人」などと呼んで、これまたのちの関西系の社会福祉学者たちが持ち上げたりするわけですが。

岡山四聖人ぐらいは覚えてもいいかもしれません。19世紀末から20世紀初頭に、日本で慈善家として活動した人です。「アメリカのリッチモンドやJ・アダムスと同じころ、日本にも今のソーシャルワークの萌芽はあったんだ」と国家試験は言いたいからです。

岡山四聖人(=日本のソーシャルワークの萌芽)
アリス・ペディ・アダムス:岡山博愛会
石井十次:岡山孤児院
山室軍平:救世軍
留岡幸助:家庭学校(感化院)
ハルハウスを設立した人をいちいち「J」アダムスと、「J」をつけるのが一般的なのは、岡山博愛会のアリス・ペディ・アダムスがいるからです。もちろん、この二人には何の関係もありませんが。
正解 1
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