ソーシャルワークから見た「社会的存在としての個人の生涯過程」

03社会理論と社会システム

今回のポイント
・なぜ暗記ではなく論理なのか、具体的問題で考えてみる。
・自然科学と社会科学の射程の違いを理解する。

問題18 次のうち、標準的な段階設定をすることなく、社会的存在として、個人がたどる生涯の過程を示す概念として、最も適切なものを1つ選びなさい。
1 家族周期
2 ライフステージ
3 コーホート
4 ライフコース
5 生活構造

社会福祉士国家試験 第33回(2021年)より

もちろん、この問題も、ここまでの問題の積み重ねから、何を問われているのかを論理的に考えてみましょう。

この手の問題について、一問一答タイプで丸暗記していくやり方で潰そうとすることも「あり」だとは思うんです。
これまでの流れだのそんなの考えなくても、暗記してりゃ、この問題は「はい、ライフコース!」それでも正解は導けるとは思います。
確かに国家試験を解くにあたって、最低限の暗記は必要ですから。それは否定はしません。
ただ、一問一答的なやり方での勉強をやりすぎると、気づけなくなっちゃうんですよ。何に? 国家試験がその試験全体を通して何かを伝えよう伝えようとしているって事実に、です。
それは、Aさんという障害者の障害特性ばかり覚えるみたいなもので。Aさんは障害者以前に、Aさんであって。Aさん自身が「何か」を強く強く伝えている、そんな事実に気づかないソーシャルワーカーみたいなものですよ。障害者と社会にレッテル貼られている人だろうが誰だろうが、論理を使って根源にまで遡って丁寧に丁寧にその人に迫ろうとする、それこそが社会科学をふまえたソーシャルワークだと私は思ってます。
おっと余計な話をしていますね。すいません。

さて、ここまでの問題構成をもう一度振り返ってみましょう。

問題15で「合計特殊出生率」という数値を、日本社会の課題としてみてみよう、という見方が提示されました。ただし、なぜそのような数値が出てくるのか、その「なぜ」には数値そのものは答えてくれません。いや、そもそも数値ほど無意味なデータはありません(逆にいうと、数値は無意味だからこそいいのです。)
私たちが触れる数値が意味を持っているのは、人が数値に「意味づけ」をしているからです。その「意味付け作業」を「解釈」と呼びます。

「解釈」なんていうと、違う考え方をする人も居るでしょうね。つまり、「解釈」には「正しい解釈」みたいなものがあるんだ、と。そもそも数値には正しい意味があって、それを正しく理解することが「解釈」なんだって考える人いるでしょうね。それは自然科学的な考え方ですね。数字の背後に正しさがあり、数字の背後にある正しさを正しく理解できる人が科学者だ、みたいな。それは、自然科学者の見方です。もうちょっといえば、数字の背後に法則があり、法則の背後にGOD(神)がいる、そして自然科学はそんなGOD(神)に近づく手段なのです。

一方で、社会科学はそういう見方をしません。数字の背後に正しい何かなんて想定しませんし、その背後に法則だの、さらにその法則をも作り出した、絶対的に揺るがないGOD(神)なるものを想定しません。数値にしても、現象にしても、なんにしてもそこにそもそも意味などない。それら何の意味もないものに意味を与え、その意味を通して人と人が交わり関係を持ち、集団を作っていき、それが社会と呼ばれ・・・、という見方をするのが社会科学です。

なのですが。社会科学者の中でも、「社会にも法則があるんだ!その法則を見出すのが社会科学だ」って言っちゃう人っていて。社会にある法則を見つけるみたいな社会科学が一時的に流行しちゃう時期ってあるんです。なぜって、わかりやすいからです。揺るがない法則があって、私たちがいるって考えるのはすごくわかりやすい。だから、戦争がやたらなされている時期とか危機的時代にはそういう社会科学がはやるんです。フランス革命直後のヨーロッパって混乱しました。急に王様がいなくなったので。そんな危機の時代に、コントの三段階の法則だの、スペンサーの社会進化論だのが流行った。また、第一次・第二次世界大戦を通して
世界的な混乱状態になったころに、社会科学で流行ったのはパーソンズによる社会システム論です。これもまた、わかりやすいんです。なんかすべてを説明しきった気分に浸れるのです、この手の社会科学は。

でも、でも、でもでもでもでも。

法則やシステムで社会が決まってるなんて見方・考え方で全てを説明し尽そうみたいなのが大流行しだした後に、「なーんかそれって素朴におかしくないか?」って、そういう社会科学者が出てきます。
19世紀半ばのコントやスペンサーらのいう法則(もう少し広げるとマルクスなんかもそうですが)に「それって、おかしくないか?」って言い出したのが、1900年前後に出てくる、ウェーバーやデュルケム、ジンメルらの社会学です。そして、1930年代~50年代ごろに流行ったパーソンズのシステム論に「それって、おかしくないか?」って言い出したのが1960年代以後の社会学です。そこで出てくるのが、例えば問題19で出題されたゴフマンですよ。他には、シュッツとか、ブルーマーとか。(ちょっと社会福祉士としてはマニアックすぎますかね。)概念としてはゴフマンによる一連の役割概念やドラマトゥルギーって発想もそうだし、エスノメソドロジーもそうですね。あとは、「ライフコース」もそう。「社会調査の基礎」で出てくる「グラウンデッドセオリーアプローチ」も1960年代以後のアンチパーソンズの動きが背景にあります。

なんてことを踏まえて、選択肢を見てみますか。

選択肢1×

カエルは、卵からオタマジャクシを経てカエルになりますよね。100%そう。
すると、卵→オタマジャクシ→カエル、っていうこの段階を法則だって自然科学では言うわけです。すると、社会科学者のなかには、自然科学と同じように科学者っぽいことを言いたいので、社会の発展にもそのような法則、つまり100%そうだと言えるような法則があるはずだって考える人たちがいるわけです。それを発展段階論と呼びます。コントの三段階の法則とかはその典型。
そこから、今度は社会のみならず、家族をも発展段階論的に説明できるはずだって、そう考える人たちが出てくる。

そんななかで出ていたのが「家族周期論」です。そんなの、ソーシャルワークに何の意味があるんだって思うかもしれませんが、おおありです。ウェーバーやデュルケムらと同じ、1900年前後に活躍したラウントリー。彼は、社会調査から家族周期を明らかにしたうえで、その周期からズレた人たちは貧困者になりやすいから、ソーシャルワークの対象にすべきだ、という発想をします。この発想は、それまでの情にもとづくソーシャルワークとは異なる、社会科学としてのソーシャルワークの始まりとして教科書では描かれていますし、だからラウントリーはソーシャルワークではしょっちゅう国家試験でも出るでしょう。
法則しかり、発展段階論しかり、その延長としての家族周期論しかり、もちろん、「標準的な段階設定」を行うわけです。

選択肢2×

家族周期論は、家族の発展段階論でしたが、これを個人に当てはめるとライフステージ論になります。個人に当てはめる場合は、発展段階というより「発達段階」と言い換えられることが一般的です。年齢ごとに多くの人が体験、経験し乗り越えていく、そういうステージを、ライフステージといい、個人の発達段階を説明する際に用いられます。もりろん、このライフステージも「標準的な段階設定」としてあるわけです。

選択肢5×

生活構造論は、マルクス主義(=これもまた社会の発展段階論)の影響を強く受けた、そんな日本の社会学者が作り上げた理論です。私たちの「生活」を資本主義との関係から「構造」(=変わりにくいもの)としてとらえた上で、いかに構造としての生活を、資本主義の次の段階の「生活」へと変えていくか。そんな視点が強調される論です。今となっては生活構造論を唱える学者もほとんどいませんが、社会科学で「構造」という概念を使うときのニュアンスさえわかれば、△でも×に近い△にできるはずです。

「構造」(=変わりにくいものに焦点化)⇔「変動」(=変わりやすいものに焦点化)

選択肢3× 選択肢4〇

「コーホート」と「ライフコース」は、ともに「標準的な段階設定」をして社会を説明するような見方・考え方へのアンチとして1960年代以後に登場したものです。
コーホートとは、人々の間に共通の要因を見出し、その要因でくくった集団のことです。例えば、出生した時期によって分けた集団を「出生コーホート」と呼びます。すると、年齢ごとに普遍的で画一的なライフステージがあり、それをその都度乗り越えていくのが個人の発達なんだ、という発達段階論的な見方に対して、そのライフステージは「出生コーホートごとに異なるんだ」という批判がなされます。例えば、第一次ベビーブーマーという出生コーホートにとっては、1964年の東京オリンピックは中学から高校生のころに体験したもので、日本が世界で冠たる位置づけを持っているんだという実感を得て、就職という段階へと向かうわけです。一方で、2005年前後に出生したそんな出生コーホートは、2020年に予定されていた東京オリンピックを中学から高校生として今まさに経験しているわけですが、そこでの東京オリンピック経験は、1964年の東京オリンピック経験とは全く異なる経験と言っていいほどに、別様の何かをそのコーホートの人々に残すことでしょう。
このようにコーホートという概念は、社会学においては、標準的は段階設定へのアンチとして出てきました。

そして、そんなコーホートという概念を踏まえて、「個人」に焦点化したとき、そこでの個人は様々なコーホートに属しているわけす。出生コーホートだけでなく、同じ時期に婚姻した婚姻コーホートなんてのもあります。すると、すべてで全く同じコーホートに属する個人なんてものはいないのです。あらゆる「個人」に共通の段階や共通の時間などなく、すべては個別なのだ、という点を強調するのがライフコース論になります。したがって、ライフコース論が正解です。

ただ、「コーホート論」や「ライフコース論」の欠点は、法則や発展段階論、発達段階論といった共通のものを設定する説明よりもわかりにくい、ということです。

なのですが、その「わかりにくさ」は、共通する「法則」や「発展段階」があるものだ、という見方をわれわれが「正しい」と信じ込んじゃっているからこそ、ではないでしょうか。コーホート論やライフコース論のほうが、しっくりきて、なるほどと思えて、わかりやすい、そんな見方だってあるし、その見方のほうが、今のソーシャルワークの見方・考え方にフィットするんじゃないだろうか。

そんなことを社会福祉士国家試験は、ライフコースに丸をつけさせて、私たちに考えさせているのではないでしょうか。

正解 4

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