【雑感0002】過去問を教材としてみることの勧め

エッセイ

「過去問はいつからやればいいですかぁ~」と聞かれることがあります。

ひとりひとりの事情がほーんと異なるので、これっていえる1つの答えなんかはないです。ただ、過去問ってのがどういうものなのか、そして、過去問にどう向き合うべきなのか、ってことについては、ここまでの記事やその他固定ページでもお伝えしているつもりではあります。

「過去問いつからやればいいですか」という問い方は、国家試験で点を最大限に効率よくUPさせるためには、期間限定で、いつからいつまでどれぐらいやればいいか、なんて質問なんだと思うんです。ただ、社会福祉士に当の昔に合格した私はいまだに過去問やってるんですよ。それは、もちろん教員として教えるためでもありますけど、一方で、その年年の時流にあった、これほどいいソーシャルワーク入門の教材ってないからでもあります。

「国家試験過去問」という教材のいいところは、五肢択一なのでたいへんコンパクトにまとまっていること。それでいて、明確な答えがあること。でも、なぜそれが答えか、その意図含め、なんら提示されないってことも最高にいい。なぜなら、その意図がどこにあるのか、問題のタイトル含めて、あーだこーだ、いろいろ解釈できるから。

過去問という教材を使った解釈なり何なりが、参考書として様々に出版されていますけれども、どれもこれも、この条文にこう載っているから式の解説しかしていないんです。それゆえ、どんな解説書も、暗記型で教えてはくれるけれども、国家試験問題作成者がなぜその選択肢を丸にさせたいのか、その論理を伝えてはくれていないのです。そう、国家試験の問題作成者の意図は、あなたが自分の持ってる知識をフルに活用して、あなたが論理で組みたてていくものなのです。そして、そういう読み込みができるようになると、国家試験の点数なんか勝手に上がっていくのです。

そして、この論理で過去問を読み解くという作業には、正解がありません。だから、私も、以前には「この問題は悪問だな」なんて思っていたものが、3年ぐらい経って、その問題を別の見方で見る視点を得て、「あれ、これ、良問じゃないか」と気づくことなんて、よくあることです。これ、国家試験の問題を作った問題作成者がその意図を一切伝えてくれないからこそ、このように私の論理的思考を、何年も経ながら過去問という教材を使って鍛え上げることができるのです。

このような私の理屈によると、過去問は1回やって終わり、じゃないんです。何度も何度も何度も解いて、解くたびに、その国家試験の問題作成者の意図を考え、そんななかで自分の知識をさらにブラッシュアップし、なんて作業を、国家試験という教材を使ってやっていくのです。だから、私は国家試験の19科目について、どの科目でも多少は語れますが、しかし、どの科目も専門家なんていえません。あくまで過去問を通して学んでいるだけです。私は大学や大学院等ではまともに社会福祉学なるものを学んではいませんが、過去問を通した学びが、結果として最良のソーシャルワーク入門になっています。

そんなことを踏まえ。

あなた方がいつどのように過去問を使うかはお好きなように、としかいえませんが、ただ、これ以上の最良の教材はない、とはお伝えしておきます。私は、過去問を教材として見るべきだ、と思っています。そのような見方をすると、国家試験の見え方は異なってくるのです。そのような「見え」が過去問から発せられてるように見え出すと、それを踏まえて、過去問にどのようにリプライしていこうか、とあなたなりに考えて、あなたなりに、過去問と向き合って、継続してじっくりゆるゆると過去問とコミュニケーションしはじめるものなのです。

というのが、私の「過去問」観ですかね。

 

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